Cajuína : Caetano Veloso


 メロディー、声の運びが気に入り、この一つ前に上げたAve Mariaの次に繰り返し歌って覚えた曲でしたが、短く、口ずさみやすいながら、短すぎて歌詞の意味が分からなかったため、ずっと取っておきました。どの言葉も口に馴染んでいて口ずさんだ回数はもっとも多く、初めて聴いた時からこれまで忘れることはなかったので、昨日、ふと思い立ってグーグル翻訳で理解できるいくつかの言語に訳し、それらをつき合わせると、やっと自分なりに納得のゆく日本語にできました。
 カエターノはいろんな機会にこれを歌っており、アルバムによって印象が違います。ほとんどがメロディーもヘロヘロのとぼけた雰囲気なので、そっちを先に聞いていたら、気に入らなかったでしょう。最初に聞いたこのアルバムのバージョンだけが、キリッとしていてそこが気に入りました。イタリア人の聴衆を前に映画監督フェデリコ・フェリーニを追悼する ライブだったからでしょうか。




Cajuína(カシューの樹)

Existirmos: a que será que se destina?
わたしたちは存在している。それは何のため?
Pois quando tu me deste a rosa pequenina
と言うのは、あなたがわたしに小さなバラをくれた時
Vi que és um homem lindo e que se acaso a sina
あなたがいい男だと分かったし、
Do menino infeliz não se nos ilumina
不幸な男の子の運命を知ると、わたしたちの心は明るくならず
Tampouco turva-se a lágrima nordestina
北東部*で流された涙も霞んで見えたりりしないと分かったから。
Apenas a matéria vida era tão fina
ただ命あるものはとても美しかった
E éramos olharmo-nos intacta retina
だからわたしたちは見つめていた。お互いの傷一つ無い目の奥
*
A cajuína cristalina em Teresina
テレジーナにある水晶のように輝くカシュー
の樹*


*「北東部」:皇帝のいたブラジル帝国が軍事クーデターによって倒され、その後変遷を経て現在の民主的な国になり、亡命した皇帝の子孫も「皇帝継承権保有者」として居住し、「共和制」を支持する人たちの政治運動も行われているそうです。若い頃、軍事政権下でカエターノはロンドンへ亡命していましたが、人種問題、領土問題が根にある紛争がポルトガルの植民地時代、ブラジル帝国の時代からあるようで、「北東部」はこれだけで 紛争の歴史を暗示しているのでしょう。
*「カシューの樹」:現在よく食べられるカシューナッツはこれになる実ですが、そもそもゴムが採れる樹で、これが自生していたアマゾン奥地にアメリカの「ゴールドラッシュ」のように多くの入植者が入り込み、生ゴム生産の巨大な利権を奪い合う紛争が、隣国のボリビアとだけでなく、ブラジルの領土になってからもあったそうです。
*「目の奥」: retinaは直訳なら「網膜」ですが、この単語は他の曲でも使われています。他のミュージシャンも使いやすいのかどうかは知りませんが、直訳の日本語では違和感があるので、こう訳しておきます。
*「テレジーナ」: 地名にあるのですが、「テレサ」という人名をもとに作られているので、歴史を暗示しているのかもしれません。機会があれば、調べてみます。